02.16
アメリカ製造システム
物的生産性を高めてきた歴史を振り返ります。ここで注目するのは19世紀アメリカにおける「互換性部品」を一連の専用機械で生産する「アメリカ製造システム」です。アメリカの繁栄の基盤となりました。
イーライ・ホイットニーがその象徴的役割を担ったとされます。
アバナシー・クラーク・カントロウ*2『インダストリアル・ルネッサンス』によればアメリカの製造システムは、次のような段階を経て発展したとされます。
(参照*1経営学史叢書第Ⅱ期②生産性(2022)「生産性のマネジメント」)
第1段階 機械で作られた「互換性部品」を流れ作業で製造する(掛け時計など。でも米国の掛け時計は何十年もモデルチェンジがありませんでした)
アメリカ式のクロック大量生産方式の始まり(参考「セイコームージアム銀座」)
第2段階 専門化・標準化された技術による垂直統合で低コストで高品質を実現する
シンガーミシンは生産システムと積極的なマーケティングで世界市場の75%獲得(シンガーミシン)割賦方式が導入されました。
第3段階 新製品開発、製品のモデルチェンジを積極的に実施する。しかし、技術の革新スピードがあまりに速く不完全に終わりました。
第4段階 部品内製をやめ、部品メーカーに外注することで設備や開発への投資を避け、規模の経済を得て低コストを実現します。しかし、部品メーカーが技術力をつけ工作機械メーカー、金型メーカーなどが台頭してきました。後に自動車産業の基盤となります(創成期の自動車メーカーは部品メーカーから調達した部品を組み立てるだけだった)。
以上が、欧州とは異なるアメリカ独自の背景から生まれた「3S(専門化、単純化、標準化)の実践、互換性原理への挑戦、工作機械の進展と部品メーカーの技術力の蓄積など」によってなされた19世紀の「アメリカ製造システム」なのです。生産だけでなく販売、開発が合わさりながら発展してきたことがわかります。
20世紀に入るとフォード生産システムが登場します。
<参考>
*1経営学史叢書第Ⅱ期②生産性(2022)『生産性のマネジメント』「第1章 物的生産性」
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